世界の「百年の誤読」 [読書]
海外文学って売れないそうです。
確かに書店でも年々年々、海外ものの棚が少なくなってきているような。
私自身も、翻訳ものはエンタメ系が中心で、
・・・・中心でって言うより「ばっかり」でございます。
前作「百年の誤読」は日本のベストセラーしか取り上げていなかったので、
この「海外文学篇」では、
岡野宏文、豊崎由美両読み手が世界の名著を語りまくります。
20世紀の100年、1年に1冊を取り上げる趣向が面白いですが、
両氏が対談にあたってそれぞれの作品をきちんと読みなおしているのは、
それが仕事といってしまえばそれまでですが、大変な作業だったのではないかと思います。
「最後の一葉」みたいな短編はいいですが、
「失われた時を求めて」とか「「チボー家の人々」とか「重力の虹」とか「ユリシーズ」とか
あるわけですからねー。
書評する方の苦労と引き換えに?、コンパクトに語ってくれているので、
われわれ読者はこの本をザザッと一気に楽しんで読めてしまいます。
しかも、読み終えると、この中から読みたい本が2,3冊出てきます(たぶん)。
日本編のときは罵詈雑言がここちよかったですが、
「海外文学篇」はおとなしめ?
いや、やっぱり「世界」を相手にしているので、
それだけ傑作が多いってことなんだと思います。
カポーティもいれば、ガルシア・マルケスもいるし、チェーホフもいるし、
ヴァージニア・ウルフも、イタロ・カルヴィーノもいるわけです。
ゴンクール賞、ピューリッツァ賞、ブッカー賞だけじゃなくノーベル賞作家だっている。
あ、でもゴーリキィの「どん底」は
「今の時代に読み返す価値、ないよ」(岡野)。
レイ・ブラッドベリの「華氏四五一度」は
「わざわざ小説にしなくても、言いたいことがあるなら一行で伝えてくれればいい」(岡野)。
ケルアックの「路上」は、
「清原とか、長渕とかと変わらない。その精神性が」(豊崎)
(ただし、青山南の全面改訳版は同じ小説とは思えないくらいいいらしいです)。
サガンには、
「所詮は一発屋」(豊崎)。
なんか、けっこうおっしゃってますね。
さて、最後にジョン・バースの「キマイラ」について語っている部分で
ポストモダンについての言及。
「でも正直言ってポストモダンって読みにくいだ(笑)。もとの小説知らないと
きついなぁと思うところも多いしさ(中略)。ポストモダンって膨大な知識がいるじゃない」(岡野)
(中略)「元ネタを探して読むっていう地味な作業も大事だと思うんです、特に若い人には。
教養を身につけるには、どこまで行っても終着点がない。文学の楽しさ、
果てしなさに、めまいを感じるのもいい経験ではないかと思うんです」(豊崎)
おっしゃる通り。
ほんと、知らないことが世の中にも小説世界にもごろんごろんしていて、
まったく先が見えない。全体像が把握できない。
1年に1作の名作なのに、1999年のジョン・マックスウェル・クッツェー「恥辱」に
関しては、作者も作品も聞いたことがないちゅう始末です、私。
もっとも新しい作品なのにね。。。。
こりゃおもしろそうですねえ。日本文学篇もよんでみたいです。
そうだなあ、「失われた....」は何度挑戦しても挫折し続けた本の一つですが、死ぬまでにはなん溶かしたいと思います。情けなし。
この本、ご紹介いただきありがとうございます。
by snorita (2008-08-02 22:30)
私もですよー。「失われた~」は二度挫折してます。実はフランス語で読む講座があったんですが、日本語でも読めないのに無理っ!と即断し、受講しなかった過去があります。
この本、ブックガイドとしても秀逸だと思いますよー。日本編は、もっと罵詈雑言が楽しめます。
by chicory (2008-08-03 00:19)
この本、おもしろそうですね~。
昔読んだ本も読み返したいものです。
読みたい本がいっぱいあると睡眠時間がなくなるので困りますよね。この本を読んでから作品を厳選して読むのもいいかも~。
時間がたっぷりあった子供時代、学生時代にどうしてもっと本を読まなかったのか悔やまれます……。
by はるちー (2008-08-03 12:57)
岡野、豊崎両氏が五段階評価しているので、
選ぶ時に基準になって便利ですよ。
読みたい本がたくさんあるのに、それに没頭する時間は
あまりないのですよね。
私はもっと学生の頃に体系的に読んでいればよかったなぁと思います。
by chicory (2008-08-03 15:36)